薄焼き玉子と詩と英知

冷やし中華はじめました。

錦糸玉子なんて作ってみたりして、案の定大変に苦戦して。卵を薄く焼くのは、少し前に夫がオムライスで挑戦して玉砕していたけれども、思っているより難しい。練習あるのみというのは何でも同じ。

自分ひとりのために薄焼き玉子は作らない(少なくとも私は)。夫のためにだってなかなかやらない。錦糸玉子やオムライスを習得したいと、私が思うのは、きっと子供のため。

"Cooking is LOVE."と言っていたのは、私が卒業したほうの大学の研究室で出会った留学生のお姉さんだ。考えてみれば、自分が食べたいものを食べたいだけ、食べたいように作るというのも、立派な自愛だよなと思う。ひとのごはんを作ることについては言うまでもない。

料理もそうだし、洗濯もそうだけれど、生活の営みのひとつひとつが愛であり、詩である、と思う。集合住宅のベランダのひとつひとつにはためく洗濯物それぞれに、ひとの暮らしがあるし、詩がある。

愛と理性を調和させるのは、アルフォンス・ミュシャによると英知だそうだ(その思想に基づいて"Harmony"と題する油彩画を描いている)。Wisdom brings harmony between love and reason.

理性に傾いていると忘れてしまいそうな(というかたびたび忘れる)暮らしのなかの愛、もうすこしの英知があれば、断絶せずにつなぐことができるだろうか。