医療者になるはずだった者として

めでたく子供を迎えた夫婦が、生後2ヶ月半のその子を連れて遊びに来てくれたので、お産のときの話なんかを聞いた。そこではじめて気がついたのだけれど、立ち会い出産とはいえ、夫が目にするのは妻の顔側だけであって、覆いの向こうで何が起きているのかを見ることはないのだ。当然だけど産婦本人も。一生の中でそれを見る機会があるのは、医療従事者、もしくは将来そうなる予定の者だけである。

私は「向こう」側に立っていたことがある。今から6年前に退学するまで、医学部医学科の学生だったからだ。5年生の終わりまで行って、1年休学した末にやめた。その大学では5年生の7月から臨床実習が始まったので、3月頭に休学するまで、8月(夏休み)を除く丸々7ヶ月間は、病棟にいたということになる。体調を崩しはじめていた1月2月のことは何が何やらもうあまり覚えていないけれど、11月に回った産婦人科や、12月の小児科のことはわりあい鮮明に思い出すことができる。それだけ強い印象が残ったということでもあるだろう。

非常に特殊で貴重な(そして公費を使った)教育を受けておきながら医者にならなかった私は、その社会的投資を無駄にしたことになる。私個人の人生の上で、すくなくともその時点では仕方ないことだったのだけれど、当然一定の罪悪感は持っている。ただ、それを思いきり棚に上げてもう少し大きな単位で考えるならば、別のことも言えるかと思う。

ひとつは、私という1例に関しては、大学病院が教育機関として失敗したということ。実習に出るまで、(特に熱心に勉強する学生ではなかったけれど)やめようと思うほどの苦痛はあまりなかった。試験はつらかったし、3、4年の終わりには再試だらけになったし、なんとか留年しない程度だったけれども、なんだかんだ医学は面白かった(いまも面白いと思っている)。学生として病棟ですごし、初期研修医と行動を共にするなかで、その環境で働くことにどんどん懐疑的になっていったのだ。

もうひとつは、さようにメンタルも志も弱い人間が医師として世に出てしまうのを防いだという点において、大学が安全弁の役割を果たしたということ。たいていの場合、多少いやになることがあっても、損得勘定の上で、医師になることを選ぶだろうと思う。私がやめるに踏み切った要因は、損得勘定が欠けていたことや、体調を崩してからあまり長い期間かけずに判断したこと(休学した年の夏にはもう、別の一般大学の編入試験を受けることを決めていた)、社会的投資に対する責任について重く考えていなかったことなど、いろいろあるけれども、ひとことで言うと幼稚さである。そのような医師をひとり生まずに済んだということ。

 

出産を前にすることで、つとめて忘れるようにしてきたことをひとつ整理できるとは思っていなかったな。もうすこし、考えられることも残っている気がする。どうしたら少しでも、自分の生を通じて、受けた経験を生かすことができるのかとか。