精神の身体性を認めるんだよ

雨、雨、雨で、気温も低いけれど私はすこぶる好調なので、気象病とは縁がないらしい。あるいは弱ったときでなければさほど影響を受けないか。

このところ妙に体調がいい。動いてもそれほどおなかが張らないし、とすればこの3ヶ月以上制限されていた行動範囲を広げられるかもしれないし、そんな展望のもとにうきうきしながら家事なんかこなしちゃって、嘘のようである。

もともと私は引きこもり耐性が高いと思っていた。家が好きだし、一日じゅう布団につつまれている休日が好きだ。そんな日はろくに食事もしない怠惰ぶり。しかしそれは選んでそうするのがいいのであって、来る日も来る日もそうするしかないのはわけが違う。終わりが見えないのもしんどい。

体を動かせば気分が良くなる、ただそれだけのことなのだけど、運動(というか活動)を制限されているのだから打開しようがなかった。今ようやっと、体が許してくれるようになってきたのである。動く。疲れる。気持ちがいい。あぁ精神の、単純なる身体性。

さまざまな理由からぐっと落ち込んで、回復しつつあるときにいつも気がつくような気がする。心も体、体も心。私がそう唱えはじめたのは、10年以上前ではなかったか。それから何度廻ってくれば気が済むのかと思うけれど、毎度新たに、体で気づくのである。

心と体がぴったり合っていること、動きたいように動けること。それは以前の私と同じではないけれども、いまの体に心が追いついたようでもある。